アトリエ周辺風景その1 - 春の小川レイクエム

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アトリエ(都市梱包工房)から明治神宮の西参道口までは歩いて5〜6分ほど、距離にして1㎞弱である。
少し坂を上り住宅街から山谷小学校を過ぎると参宮橋、明治神宮の杜に接して東京乗馬倶楽部が在り、代々木公園があるから都心にしては比較的緑に恵まれている場所である。
この周辺の代々木一帯は丘陵地や坂の多い街でもある。西参道にかかる参宮橋辺りが丁度丘陵地の最も高い辺りだろうか。そこから眺めると谷に当たる地に小田急線が走り、そこから上部の丘陵地へと家並みが複雑に重なり合い続く。代々木上原や幡ヶ谷の丘陵地だ。そして小田急線は渋谷の方向へと緩やかに下っていっている。
この辺は地形に沿って街が築かれてきたのか真っ直ぐな路は極めて少ない。街の至る所に大小の坂があり、路は狭く曲がりくねりながら次の坂へと繋がってゆく。車どころか人のすれ違いも難しそうな路もある。
散歩として歩いているだけなら変化に富んで心地良い住宅街だ。いまやアトリエで仕事をしている時は気分転換と、運動をかね1時間ほど神宮内の杜や、この周辺を散歩するのが何時の間にか習慣となっている。

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原宿から事務所を移して間もない頃の事である。参宮橋からこの代々木上原の丘陵住宅地街を歩いた。と言うより迷い込んだに近い。幾つかの坂を上下し、曲がりくねる路地を迷いながら歩き続けたら、突然小田急線の小さな踏切に出た。
電車をやり過ごしながら、何の気無しに踏切近くに建つ電柱を見ていたら「の小川」と書かれた標識が目に飛び込んできた。そしてその下に小さく矢印と共に「の小川はこの線路沿い」と書かれていたのに驚いた。

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一瞬、何のことだか…。ひょっとして私の知るあの懐かしい童謡「の小川」の場所を示しているのではと…。踏み切り沿いに細く繋がる小道と言うか空き地のような空間を眺めた。そして渋谷のビル並みが遠くに見える線路沿いを歩いてみた。何処にの小川が流れていたと言うのか。周囲を眺め走り戻りした。急に通りは線路沿いから住宅の密集地に変わり、折れ曲がりながら路地状となって、さらにその先へと細く続いていた。


  の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に……


私の抱いているその風景の場とはどうしても結び付かないいのだ。
小一時間ほど、大げさに言えば大都会で狐に騙されたかのように、私は子どもの頃の故郷の水田を流れるあの穏やかの小川を思い浮かべ、この現実を疑いながら、目前に存在するアスファルトの路地風景を幾度も確かめ歩いてみた。そしてビル街に細く残る公園の1角で黒み影の石に刻まれた「春の小川」の小さな記念石碑を見つけ、始めて思い知らされた。この地がこの場が確かに春の小川は流れていたのであると…。

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この詩は1912年に高野辰之によって詠まれ今日に歌い繋げられてる文部省歌である。(高野辰之1876〜1947年、長野県生まれ、国文学者、他の代表作に故郷、おぼろ月夜、もみじ、春が来た 等)当時高野は代々木山谷(現在の代々木3丁目)に住んでいて、この地を上流として渋谷に流れる河骨川をこよなく愛し、よく散歩をされていたと言われる。その河骨川こそが「春の小川」の歌に唱われた場所なのだが、昭和39年のオリンピック開催時に暗渠化されてしまったらしい。


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春になると岸にタンポポ、すみれ、れんげが咲き、川面にメダカが泳いでいた。その面影はどこにも今は無い。がしかしビルや住宅街を左右に細く折れ曲がり、下りながら渋谷の方向に繋がるアスファルト路地や線路沿いの空地に、何とはなくかって小川が流れていたのであろう、その痕跡が幻のように感じられてくる。

私の時々歩く代々木散歩コースの一部に100年前そうした風景があった。「春の小川レクイエム」…その事知って以来、気も留めず通り過ぎていた代々木界隈の街並みが急に私に懐かしさの風景とも重なり、親しみが湧いて来たのでした。

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プロフィール

入之内瑛

建築設計事務所を主宰しながらライフワーク
として世界各地の集落探訪を行っている。
また国内では全国各地の林業地と森林を訪れ
木に生きる職人やその技術、木材活用等、
木に纏わる人々の暮らしや木の建築を
取り上げ、森林と木の文化日本の展望、
復権を伝えて行っている。
設計アトリエでの主な仕事は
街造り計画を初めエコマテリアル材
(自然素材としての木材や土和紙、石等)
の活用を計った住まいの設計、
子どもの為の施設や老人、
医療施設などを手がけている。


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