アトリエ周辺風景その2 - 明治神宮表の街原宿とアトリエ創生期時代

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八丈島のダイビング仲間達
手銛持参で夏の八丈島ダイビングへ
原研グループとアトリエメンバーで20代から今でも続いている恒例行事です。



原宿にあったアトリエを今の代々木の地に移してから早いもので40年強になるらしい。数年前のこと渋谷区から建築士会を通し受賞の連絡を受けて驚いた。何の事かと訪ねたら当アトリエ(都市梱包工房)は創設時から変わらず渋谷区に事務所が置かれ40年経つ、その労苦に対する賞だと言う。今年はさらに小さな設計組織であるが会社という形式なって45周年を迎えることになっている。

阿佐ヶ谷の小さなアパートの一室で日夜、建築を夢見て若者達が集まっては時に喧嘩越しの議論を交わした。その溜まり場の様なアトリエ時代からすると今年でもう半世紀である。思えば何とも気が遠くなるように永く、昨日のように短かくも感じるから不思議だ。
振り返れば労苦と言うより、多くの仲間や諸先輩、支援者に励まされながら何時も夢先行で、少し無謀と冒険を常に孕んだ組織…。言葉に表せない意義深い半世紀であったかと思ってる。



この期を機会にアトリエの創生期時(1970年代)の原宿界隈や現在の事務所がある代々木周辺の風景、その移り変わり等を思い出しながら、アトリエの当時の様子を振り返ってみることにしてみた。

アトリエ創生期は神宮前3丁目でした。その場は原宿表参道から数百m程中に入り込んだ住宅地の一角で、アトリエは集合住宅スタイルの雑居ビルの1室でした。
スタッフと言うより意気の合う仲間と専門学校の教え子が数人、それにアルバイトや訳の分からない助人が数人加わり60㎡弱の部屋は何時も人で溢れていた。仕事は都市計画の調査ごとや、小住宅、山小屋の設計が主で在ったと思う。


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(左)アトリエ同人とカヌー仲間達
鬼怒川の岸辺沿いに設けたカヌー置場から下流の利根川合流地まで
何人か沈みながらのカヌー川下り。
終われば、釣った魚で酒を飲む
(右)アトリエ創設期の仲間達
阿佐ヶ谷の小さな部屋はいつも建築やものづくり論の場となって
結論の出ないまま朝を迎えた。



コアーの者以外に座る席を固定していないので、一つの仕事を奪い合いながら、皆が自分の作業場と机を確保しなければならない。そうした事もあってか今では考えられないが、自分の席確保を兼ね仕事が終わっても自宅に帰らない者が何人かいた。アトリエ内部には設計資料以外に置き場に困る材料見本や、大きな地形模型など物が溢れその上に皆の寝袋なども加わるから、一般の人を呼べる状態とはとても言えなかった。

当時、原宿一帯は大きく様変わりの時期で、明治通りにあった象徴的な教会が巨大なデパート(現在のラフォーレ原宿)に変わったり、住宅が軒並みファッションビルに建てかえられたりと、目まぐるしく変貌に向かっていた。
それまでの原宿界隈は大通りから少し奥に入ると、以外と緑や閑静な住宅街が拡がり、そこには人々の生活に困らない程度の日常雑貨店や、食事の場が幾つかあったりして3度の食事はもとより、仕事の合間の散歩などを楽しませてくれていたのでした。

そうした街並みに開発に伴いか、朝から夜遅くまで着飾った若者や、意味不明な輩が大通りから住宅街の狭い道路にまで溢れ出し初めたのである。通りは毎日が祭りの様な状態。
その群がる人をかき分けて事務所に行き来するはめになりだす。さらに輪をかけて日に三度気軽に食事が出来たレストランや店までも、意味不明な輩に迎合し模様替を初め,何ら腹の足しにならないような食べ物等を売り出し始めたのだ。そしてかつての店から模様替えの度にメニューや価格が変わってゆく。
時には徹夜作業になること多く,その上に実入りの少ない設計家の卵や若者、アーティスト達の行き場が周辺からどんどん無くなって行く。街の進む方向がみな外部に向いて、内部に暮らす住民や働く者の生活が無視された街へと急激に変貌して行くように思えた。


アトリエ住民は私を初め皆が二十代、腹は減っては戦ができないとスタッフが回り持ちで食事を作り始めたのもその頃からだ(この流れは代々木時代にも継続されていった)。時間を決めて食事担当者が鉛筆を包丁に持ち替えて食事をつくることになった。これは安く三度の食事がアトリエ内で取れることや、スタッフ間のコミュニケーションに繋がるなど大好評だった。しかしその内に大きな問題が生しだした。食事造り当番者によっては料理を美味しくと、スパイスや香料,時にはニンニクをたっぷり使う者が出だしたのだ。食づくりの当然の帰着と考えればそれまでだが、料理のあと部屋中がニンニクの臭い充満。
訪れた来客が思わずハンカチを取り出したりして、不快な表情をするのには困ってしまった。
アトリエの部屋の造りが古くて台所と一体化しており,その上設備が悪く臭いや煙が部屋全体に流れてしまう。余りにひどい時は来客に迷惑がかからないようにと、外部の喫茶店で仕事の打ち合わせを済ませ、どうにか対応したのだが,臭いはアトリエ内の保管してる書類や図面、模型などにも微妙に染みついていていたのだ。
臭いに日常として慣れてしまった私やスタッフは気づかないで、時にはそれらの書類をクライアントの待つ部屋へと届けたてしまう事が何度か起き出した。

ある時人の良いクライアントが届けた模型や図面を前に一言「模型に何か特殊な香水を仕掛けられましたか?」 ……。返す言葉がない。この会話が原宿を真剣に出ようとする決心に繋がった。若かりし頃の原宿時代、食の恨みは怖く奥が深いの一言でした。

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コンペのはて
寝袋生活とコンペはさけては通れない設計者のさだめ。
意識もうろうでなんとか締め日に間に合わせ一安心。






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プロフィール

入之内瑛

建築設計事務所を主宰しながらライフワーク
として世界各地の集落探訪を行っている。
また国内では全国各地の林業地と森林を訪れ
木に生きる職人やその技術、木材活用等、
木に纏わる人々の暮らしや木の建築を
取り上げ、森林と木の文化日本の展望、
復権を伝えて行っている。
設計アトリエでの主な仕事は
街造り計画を初めエコマテリアル材
(自然素材としての木材や土和紙、石等)
の活用を計った住まいの設計、
子どもの為の施設や老人、
医療施設などを手がけている。


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